Hiroshi ONISHI
intermedia artist
知好楽展 − ポップな孔子の再解釈 −
2024.11.01-12.01

プロジェクトメンバー
ヒロ杉山(企画・運営、展覧会キュレーション、応援出品)
大西宏志(企画・運営、展覧会プロデュース、応援出品)
岡田将充(キュレーションサポート、キーヴィジュアル作成、応援出品)
劉昊星(企画・運営、ロゴデザイン)
黄淑薪(企画・運営)
岩崎正嗣(応援出品)
出品作家
銭超凡、張霆、陸⼼宇、呉周雨、洪淳靖、武欣悦、賀鏝旋、王若函、江思雨、兪一昶、景燁、
頼嘉亮、何林峯
開催概要
開催期間:11月1日〜12月1日
11/1 オープニングパーティ
1/2 シンポジウム
11/23 アニメーション上映会
12/1 クロージング
開催地
北京 朝外 THE BOX
●知好楽展 − ポップな孔子の再解釈 − この展覧会は、日本への留学経験を持つ若い中国人クリエイターを励ましたいという強い想いを持った日本人教員と中国人修了生によって実現しました。 展覧会の名前は、中国古代の思想家であり日本でも広く知られている孔子とその弟子達によってまとめられた『論語』の雍也(ようや)篇の中の一節「知之者 不如好之者 好之者 不如楽之者」から拝借しました。 日本語では「これを知る者は、これを好む者に如かず、これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」となり、意味は「それを知っている者は、それを好きな者にはかなわない。それを好きな者は、それを楽しむ者になかわない。」です。 展覧会のテーマは、「ポップな孔子の再解釈」です。知好楽のコンセプトを二千数百年前に考えていた孔子やその教えを、21世紀のクリエイターたちがポップに再解釈した作品とシンポジウム、さらに関連イベントとして実施するアニメーション上映会をぜひお楽しみください。 ●知好楽とAI時代のクリエイティブ なぜ、「知好楽」なのか? それは、孔子のこの教えがAI時代のクリエイターにとって大切なことを思い出させるからです。 2023 年は生成AI がクリエイティブの領域にも入ってきました。それ以来様々な意見や感想が飛び交っていますが、それらの殆どが作品を消費する(あるいは消費してもらう)という視点からしか語られていないように思われます。つまり、「作品=商品」として見たときに、AI は見方になるのか?敵になるのか?といった話しです。 ある人はAI を使いこなすことで作品=商品を効率的に生産することができるようになると言い、別のある人はAI によって自分の作品=商品の価値が失われることを心配し、またある人はAI の弱点や苦手とすることを言挙げして自分の作品=商品の価値を高めようとしているようにも見えます。これらは、クリエイターの心情からすると、もっともなもので共感もしますが、自分の作品が商品や他者からの評価をえるための道具になってしまっていることに対するモヤモヤした感じには答えてくれていません。 私たちは、そもそも絵を描くことが好きだったり何かを作ることが楽しくて、クリエイティブの道に入ったのではありませんか? クリエイターは消費の論理にからめ捕られ過ぎていませんか?これらの問いに対する答えを、二千数百年前の中国の思想家・孔子がすでに出してくれていました。それが、この展覧会の名前に冠した「知好楽」です。 この展覧会では、楽しく作り、楽しく集い、楽しく語らうことを通じて「作品=商品」という現代のクリエイターが背負わされている「消費」の呪縛から自由になってみようというチャレンジです。 これはまた、AI 時代のクリエイティブについて考えるトレーニングにもなるでしょう。AI は効率的に「作品=商品」を生み出すことには長けています。しかし、作品をうみだすことの楽しや苦しさを理解することができません。ましてや、これらを持つ事はできません。(持ったふりはできるかもしれませんが)。 AI 時代のクリエイティブの評価軸には「知好楽」の「楽」のに準ずる視点がクローズアップされてくると思います。そのエッセンスは、日曜芸術家や手芸サークル、オカンアートやお弁当アートなど趣味や道楽のなかのクリエイティブにあると思います。 知好楽展 運営委員
うつわ と うつし
Utsuwa et utsushi2013-16 / Utsuwa Utsushi 2016-19
2013-16 / 2016-19


◆開催主旨 日本語では現実(うつつ)は空虚(うつろ)と共鳴する。器(うつわ)は空虚(うつ)な円形の輪(わ)、窪んだ物体として、モノを取り込み、運搬する。容器がなくては「移す」ことはままならない。その媒体が「穿たれた空虚」である。充実と空無との弁証法がこの「器」あるいは「舟」を媒介として営まれる。それは時空を跨ぐシャトル、渡し守でもあれば桟橋でもあり、揺籠から棺に至るまで、「器」は旅程の途上で「時」の刻印を刻む。それはまた、ひとつの世代から次の世代への「魂の渡し」を司るタイム・カプセルともなる。 ここに見られるモデルは、西欧社会で支配的なオリジナルとコピーとの二項対立を無効にする。というのも(自動詞としての)「うつる」と(他動詞としての)「うつす」のペアは、複写、移動、映写、継承、交換のみならず、取得や憑依をも包含する概念なのだから。精神の「憑依」論理は、ここにあらたなパラダイムを見出す。器による移しと刻印という憑依現象(モノノケ)を巡る展覧会と、それに付随した討論会の場をつうじて、この「付きモノ」、現実と幻想の間にたゆたい、この世とあの世を行き来するモノの正体に迫りたい。 こうしたモノの探求という「モノ学」を異文化間対話として試みるなかでは、媒介者=渡し守の役割にも注目したい。文化のあいだには、乗り越えるのが容易くはない亀裂がある。詩人リルケが「間の国」と呼んだこの領域は、アリストテレスの論理学からは「排中律」により排除された「第三項」だった。その隠された「間隙」、「幕間」(インテルメッゾ)を探求する試み(メゾロジー)。その探求「道行」(パッサージュ)の途上にあって、一歩一歩、この「間の国」に秘められた潜在性を明るみに出してゆきたい。 時のうつわ、魂のうつし 輪廻転生モデルによる文化伝播 あるいは、モノに宿る魂 講演会 2014年1月23日(金)14:00開場 14 :20 開会式 竹内佐和子(パリ日本文化会館館長) 14 :30-15 :30第1部: 空虚と実体 ◆稲賀繁美「うつわとうつし:問題提起」 ◆藤原貞朗「偽物と似せモノ:真贋論争とその病理」 16 :00-18 :00 第2部:物質と魂:展覧作品を巡る討論 ◆近藤高弘「顔と憑依:モノの転生と藝術家の生涯」 ◆岡本光博「縄文虎の脅威:コピーのコピーは何を生むか? ◆大舩真言「物質とアウラ:地学的想像力とモノの再生」 ◆大西宏志「霊媒(メディウム)としてのメディア・アート」 2014年1月24日(土)14:00開場 14 :30-16 :00 第3部:記憶と物質 ◆ミュリエル・ラディック「廃墟と伝統:結晶と煙とのあいだ」 ◆橋本順光 逆襲する触手:多足多腕の怪獣からマイノリティーのモデルへ? ◆山中由里子 精霊と涙の器」/「うつわの中のうつし―ミュージアムにおける複製物展示」 16 :30-17 :30 第4部:アナクロニスムから輪廻転生へ?:風土論の新展開あるいは海賊的乗っ取り ◆鵜戸聡「カテブ・ヤシンあるいは複写による主体の略奪:群島的エクリチュールないしは、「うつし」としてのコスモグラフィー」 ◆西田雅嗣 「物の象(かたち)を写す事」:北斎の建築図 - うつしのうつわとしての雛形」 18 :00-19 :30 総合討議 オーギュスタン・ベルク+フィリップ・ボナン 総合司会:ニコラ・フィエーヴェ+稲賀繁美 結語:稲賀繁美 「輪廻転生の潜在的可能性?:地層学と気候学の媒介」 https://www.facebook.com/utsuwautsushi/
物気色 11・11
2011.11-13


「物からモノへ」展(2010年1月、京都大学総合博物館)、「物気色」展(2010年11月、京都家庭女学院・虚白院)、「モノケイロケモノ」展(2011年1月、東京画廊)。これまで、モノ学・感覚価値研究会アート分科会では、研究会で得た知見をもとに三度の美術展を実施してまいりました。そしてこの度、第四弾の展覧会(「物気色」展としては二回目)を開催いたします。今回のテーマは、自分達の原点を見直すこと。アーチスト達が、この研究会との関わりのなかで考えてきたことを作品を通して発表する。あるいは制作を通して考えを深めてゆくことを目的とした小さな展覧会です。 展覧会の名称は、今年3月11日に起きた東日本大震災と原発事故、そして2001年9月11日にマンハッタン島で起きたテロによるツイン・ビルの崩壊を踏まえたものです。これらの出来事は、私たちのアイデンティティを大きく揺さぶり、一人の人間として、またアーチストとしての生き方に問い直しを迫るものでした。また、この企画を進めているただ中、台風12号が日本列島を襲い近畿地方を中心に大きな爪痕を残しました。このこともまた、現代人の営みについて考えさせられる出来事となりました。 モノ学・感覚価値研究会では、近代の見直しを日本語の「もの」という言葉を切り口にして行ってまいりましたが、これらの活動は、こうした災禍を経験したことで益々重要になってきたと感じています。こうした中、出品作家の一人一人が何を感じ何を考えたか、展覧会という形で示したいと思います。合わせて、座(ゼミナール)を開催いたします。座は、リラックスした雰囲気の中で、座主(モデレータ)が用意したテーマについて自由に語り合う場です。皆さまのご参加を心からお待ちしております。
物気色
2020.11.21-28


現代人が忘れかけている感覚価値を呼び覚ますために、日本の古都京都からアートの提案を行います。 2010年1月、『物からモノヘ」と名付けられた展覧会が、京都大学総合博物館で行われた。これは、鎌田東二が代表を務めるモノ学・感覚価値研究会の成果発表の場であった。この研究会では、「もの」というH本語が宿している意味の広がりや感覚価値を、研究者と芸術家が協同して探求している。「もの」には、物質的側面としての「物」、人格的側面としての「者」、そしてモノノケやモノノアハレなどにみられる霊的な側面としての「モノ」の意味が含まれている。中でも私たちは、「モノ」の側面に着日する。作品は、ただの「物」ではなく、そこには「モノ」が宿っている。作家も「物」をクリエイトする「者」ではなく、「モノ」に憑かれて作品を生み出す依代(うつわ)であると考える。このコンセプトの表現実践が『物からモノヘJ展であった。その続編が、この度の展覧会『物気色(モノケイロ) — 物からモノヘ — Jである。舞台となるのは、相国寺(京都市上京区)の隣に位置する築120年の旧邸、虚白院(キョハクン)。かつては朝鮮通信使ゆかりの地であり、大正期には日本南画院の本部、戦後は女子教育の拠点となった場所である。初代主人の南画家河野秋祁を慕って、田畑忍(同志社 大学元学長、故人)を始めとする京都を代表する文化人が集ったサロンでもあった。 私たちは、ここから「物気色」のアートを発信する。「物気色」によって西洋と東洋、美術と工芸、経済と芸術と科学などの既成の枠組みを乗り越えたいと考えている。そして 近い将来、「MONOKEIRO」のコンセプトのもとに世界中のアーチストが京都に集結し、新たな文化を発信する日が来ることを夢見ている。その時、私たちは新たな文化の発信拠点となった京都をく京都藝苑 Mouseion>と呼ぽうと思う。この展覧会は、く京都藝苑Mouseion>の実現に向けた活動の第一歩なのである。
物からモノへ
2010.1.16-31


日本語の「もの」は単なる物ではない。物質性としての「物」から人間性としての「者」を経て霊性としての「霊(モノ)」にまで至る多次元的なグラデーションをもっている。最新の電気自動車から伝統的な西陣織まで、すぐれたものは「もののあはれ」を喚起させ、きれい、すごい、おみごと、と思わせる。「もの」は常に心に働きかけ、心をゆさぶり、魂まで発動させる。日本文化独特の「もの「心」 「魂」の関係に、科学・宗教・芸術の方法を駆使して多様な視点で迫る展覧会。(研究会代表 鎌田東二)